「目が覚めましたか?」
胡蝶さん、の、お姉さんのほう。にこにこと笑って俺の顔を見つめていた。ここはどこか。すぐには理解が追い付かない。困惑する俺の顔をもう一人が覗きこむ。今度は俺が知っている、妹のほうの胡蝶さんだった。
「他の隊士が駆け付けたときには鬼はおらず、あなたたちだけが残っていました」
「……あなた、たち」
「ええ」
俺は内側から脇腹を裂かれてそれなりの重傷。一か月はここで大人しくしているように、と言われてしまう。じいちゃんたちになんと説明しようか悩んでいると、気を利かせた胡蝶さんが「少し小細工をしておきますね」と恐ろしいことを言って部屋から出て行った。鬼殺隊には機密保持のルールがある。恐らくじいちゃんたちには何らかの病気や怪我で入院すると告げられるのだろう。そのうち俺は鬼殺隊の息がかかった民間の病院に移されることになる。じいちゃんにまた怒られるなあ。獪岳にもか。
胡蝶さんのお姉さん、カナエさんが教えてくれた。もそれなりに怪我をしているけれど俺に比べれば軽傷だという。喉や口の中に無数の切り傷があったそうだ。煙を自分の中に閉じこめたときに受けた傷だろう。カナエさん曰くは煙溺の煙を自分の中に閉じこめて、身動きを取れなくした状態で己の呼吸で煙をこねくり回し、ある程度まとまったところで吐き出したのだという。そのときに着いたのが喉や口の中の切り傷だと説明してくれた。恐る恐るカナエさんに「俺のこと何か言ってましたか」と聞いてみる。カナエさんはふわりと笑ってぼそっと何かを言った。聞こえないように言ったんだろうけど俺の耳には届いてしまう。「今に分かるわよ」、だった。
廊下を走る無数の足音。苦しそうな呼吸と一緒に女の人の「止まりなさい!!」という怒鳴り声。カナエさんが「あらあら」と笑うと同時に、乱暴にドアが開いた。
「善逸!!」
「さんまだ寝ていなさいと胡蝶様に言われたばかりでしょう?!」
何人もの看護師さんのような人に服や腕を掴まれながらもずるずると引きずってこちらへ歩いてくる。その口の端から少量の血が垂れ落ちた。それを見た看護師さんのような人たちは「ほら見てなさい!!!」と叫びながらその血を必死に拭く。それにも構わずはまっすぐに俺のほうへ歩いてくる。お転婆め。そう思ったら涙が出た。
たくさんの看護師さんを引きずったまま俺の目の前に立ち止まる。はぐっと拳を握ると、こつん、と俺の頭を叩いた。いや、結構痛かったんですけど。ぼろぼろ涙が止まらない俺を見下ろしては「善逸!!」と怒った。
「死んでないじゃないあの鬼! わたしの決死の想いが無駄になってるじゃんか!!」
ごはぁっと口から血をまき散らす。喉や口の中の傷が続々と開いているらしい。看護師さんたちに「落ち着け」の大合唱を受けながらはぎゃんぎゃん騒いだ。首ごと斬れって言ったのに斬らなかったのか、まさか逃げられたのか、あのあと諦めでもしたのか。まさか、俺もあのとき、死んだのではないか。最後にはそう呟くと、ごほごほと口から血を流しながら黙った。そうして俺と同じようにぼろぼろ涙を流す。
「死んでない」
「……本当?」
「死んでないし、鬼は斬れたよ」
は涙を流したまま笑う。「ならよかった」と言う顔に嘘は一つもない。俺に首を斬られたのに。どうしてそんな顔ができるの? 何も言わないのに俺のことが分かるらしいは看護師さんたちを引きはがしてぎゅっと俺に抱き着いた。痛い。脇腹がね、裂けてるの俺、だから痛いの。そう思いつつも口には出さなかった。ぎゅうっと俺を締め上げようとしているのかと思うほど強い力で抱きしめたがぼそりと呟く。俺の耳にだけ聞こえるような声で。「ありがとう」とは優しい声で言った。
「善逸は何歳まで生きた? 結婚した? 柱になった? どんな日々を送ったの?」
「ちょっと、あの、いっぺんに聞かないで」
「だって聞きたいことがたくさんあるから仕方ないでしょ」
諦めた看護師さんたちがカナエさんに声をかけてから部屋から出て行く。カナエさんも少し笑ってから「ほどほどにね」と言って部屋から出て行った。ふたりきり。静かな部屋の中での呼吸の音、心臓の音、声。それだけが満ち溢れていた。あと完全に俺の脇腹、傷が開いたよこれ、痛いもん。笑っちゃった。
「善逸」
「うん」
「いま、彼女いる?」
「は?!」
「ねえいるの?」
「……い、いない、けど……?」
がばっとが勢いよく俺から離れる。首に腕を回したままちょっとだけ笑うと突然、ちゅっ、と唇を合わせた。すぐに離れて行ったそれに俺が固まったままでいるとはいたずらっ子みたいにまた笑う。
「じゃあ今日からわたしが彼女ね。いい?」
「……へ?」
「だめ?」
「……だ、だめ、じゃない、けど、え?! なに?! どういうこと?!」
「あ、いつもの善逸だ」
大笑い。ごほっとまたが口から血をこぼすが、それでも笑いは止まらなかった。何度も何度も俺の頬や額に唇を当てるとけらけら笑い続ける。
「死に際にね、後悔したんだ。善逸に好きって一回も言わなかったなあって」
ちゅっと最後にかわいらしい音を立ててキスをする。は俺の頬を優しく撫でると「へへ」となんだかちょっとぶさいくな笑い方をした。またぎゅっと抱きしめてくるとぽつりと呟く。
「夢を見ていたの。ずっと。誰かが目の前にいるんだけどね、雷みたいな光と音で誰だか分からないの。苦しかった。あなたは誰なのって、苦しかった」
ごほっと咳き込んだの口から溢れた血が肩に流れた。背中を摩るとは嬉しそうにまた「へへ」と笑う。だからそれ、ぶさいくだからやめなさいって。そうちょっと笑ってしまった。
「善逸だったんだ、あの人」
あ、包帯が血で濡れたのが分かる。あとで変えてもらわなきゃ。もまた診てもらわないと。止まらない涙を拭ってからぎゅうっと抱きしめ返す。思い出してほしくなかった。それでも思い出してほしくなかったと思う俺がいるんだよ。だけど思い出してしまった。もうどうしようもない。俺なんかが何ができるのって話なんだけど、こうなった以上はさあ。今世は必ずを死なせたりしない。そう誓うしかできないんだよ、俺にはさあ。
「……わたしは善逸にまた会えて嬉しいけど、善逸はそうじゃないみたいだね」
「なんでそう思うの」
「わたしが思い出した瞬間、悲しそうな目をしたから」
の目が開いて俺をじっと見た瞬間に分かった。ああ、思い出してしまったんだ、と。それが悲しかった。悲しい思い出が蘇ってしまったのだと思うと苦しかった。俺がの首を斬ったことを思い出したことがつらかった。
「首を斬ったこと、後悔してる?」
「…………うん」
「ばかだなあ」
「ひどくない……?」
けらけら笑う。はもう一度俺にキスをすると、くしゃくしゃと乱暴に頭を両手で撫でた。また「ばか」とかわいい声で言ってから、俺の涙のあとに口付けをすると「しょっぱい」と呟く。ぐしゃぐしゃになった俺の髪を直しながら、また確かめるように「ばか」と言うから笑ってしまった。ばかだったんだね、俺は。ぎゅっとを抱きしめたらまたじわりと脇腹が痛む。じいちゃんと獪岳と三人で、昔のことなど忘れて暮らしていければそれだけで幸せだって思っていた。言い聞かせていた。がいなくたってそれだけで十分だと。だけどさあ、やっぱりさあ。こうやって抱きしめちゃうと、もうそれじゃあ何かが欠けたままになっちゃうんだよ。欲張りだから。
少しだけ体を離して静かに唇を合わせる。夢みたいだけど夢じゃないんだ。は唇が離れてからはじめて照れくさそうに笑うと「今も昔も大好き」と言って、ぽろぽろ泣いた。
「俺も大好き」
ようやく言えた。照れくさくて思わず笑うと、は涙を拭いてまた俺の頭をくしゃくしゃ撫でまわした。
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